蘇との出逢い



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日本独自の乳製品、蘇 ( So )  との出逢い


 
古代 飛鳥時代に、ミルク文化が確立していたという事実だけでも 驚きでしたが、朝廷、
高官に納める為の様々な、貢納品の中に 蘇  という乳製品が存在したことは、酪農の
仕事に携わっていた私には、 衝撃的なことでした....。
 
牧場のことを " 牧 " 、搾乳を行う処を " 乳戸 " そして飼育 繁殖専門の処を " 乳
牛戸 " そしてそれらをまとめ上げる牛飼いの エキスパートを " 乳長上 " などと呼ん
でいました。 また " 乳牛 院 "という製造工場に集められた 乳 ( " チ "とか " ニ
ュウ "と 呼ばれていた) は、蘇などの乳製品はもとより、薬としても加工されて いたよう
です...。
 
 なんだか、わくわくと楽しくなり、牛の世話をしながら当時のことを 想いうかべては反芻
し、ひとりニヤニヤと仕事をする日々がつづきまし た。 

 
そして、或る冬の日、どーしても蘇を作らなくてはいけない衝動にから れました...。
生来 じっと、机に向かっていられない性格でしたので まず、蘇づくりは無理だと思って
いましたが、 何がとりついたのか 気が付けば、鍋の前で木杓子を回していました。


 乳、酪、生酥、熟酥、醍醐 という乳製品の中で最も美味しかった ものが醍醐であっ
た、最上至極なもの、醍醐味という言葉はここから きたのでありますが、インド、中国を
経て、日本に伝来した "そ " は " 酥" であって 製法は違うものでした。 この時すで
に日本人は、 海外のものを上手く取り入れて 独自の文化を確立するという技を 持って
いたんですね。 私が想うところ "蘇 " は、醍醐より、さらに上をゆく乳製品だったんじ
ゃないかと、なんの根拠もなく想う蘇庵で ありました。( 考古学の先生方ごめんなさい
 )

 
とにかく夢膨らむ "蘇 " は、私の生活から離れられないものとなり 気が付けば、離れ
の小屋を製造室に改造し、保健所に通う日々が つづいた訳です。


 チーズでもなく、バターでもない、日本独自の乳製品、 蘇( So )、私は、これを 食材
(素材)として、位置付けたいと思っています。
 


( 今、バターが品薄状態のようですが....。
つい最近まで、"生産調整 "というお国からのお達しで、搾った乳を捨てていたんです
よ。

その捨てなくてはいけない理不尽な乳を使って何か出来ないかと調べはじめたところ、こ
の蘇に行き当たった訳です。 )
  
 
 
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